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高木文明は東京の中心部に誕生しました。三人兄弟の次男として生まれ育った私は、幼い頃は戦隊ヒーローごっこが大好きで家の中ばかりか道路も縦横無尽に駆け回ったものです。
アクティブな子供として周囲に認識される一方で、私は絵を描くのが好きな少年でもありました。兄弟と遊ぶのに疲れた時や、一人きりになりたい日、誰にも見つからないように駐車場の片隅に隠れてお絵かき帳にスケッチをしていたのです。
こうした私のもの静かな趣味を特に母親は喜び、私にだけ本格的な油彩道具やクレヨンセットをプレゼントしてくれました。
兄弟とは喧嘩する事も沢山ありましたが、幼稚園時代の私の毎日は輝かしく、良い時代を送っていたと思います。
その頃私の家の近所にはイラストレーターの女性が住んでおり、私は気が付けば良く彼女の家にお邪魔するようになっていました。プロとして絵を描く人に触発され、私は高木文明として将来どのような職業に就くべきか早い段階で考えさせられてもいました。
彼の父親は「高木文明」として高木家を背負って生まれたからには、男らしい職業に就き、歴史に名を残してほしいと良く語っていたそうです。一方でその頃から高木文明として自分の手で自分の人生を決めたいと考えて内心反発していたのです。

高木文明は中学校高校と漫画研究部に所属し、自分自身のイラストの腕前を磨きました。高校時代には友人と一緒に出版社に漫画原稿を持ち込みに行ったのが鮮明な思い出として記憶に残っています。その頃には父親からクリエイティブな仕事に就く事は反対されていましたが、高木文明としてPNを用いずマンガ家デビューすれば世間に名が知れ渡りますから、父親にも認めてもらえると思っていました。
残念ながら高校生活で私の作品が雑誌に掲載される事はありませんでしたが、友達と共同作業で行なう漫画制作は私に大きな刺激を与えてくれたのです。青春時代は夢に向かって一直線に走る輝かしいものでした。
大学に入ってから私は高木文明として原点に立ち返る必要が生まれました。高校時代の友達と疎遠になってから、自分自身は物語を作るよりもイラストを描く方が楽しいと認識するようになったのです。特に大学に入ってからCGを本格的に学ぶようになりましたので、新しい技術が身について毎日が充実するようになったのです。
そこから彼はイラストのポートフォリオを制作し、多様なゲーム会社に持ち込むようになりました。
これから先イラストレーター高木文明として名を成していくのが楽しみでなりません。

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