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倫理研究所は生涯学習を推進している民間の社会教育団体です。1945(昭和20年)に丸山敏雄により創立されました。2013年(平成25年)には一般社団法人として内閣府の許可を受けています。講演会やセミナーなどによる啓蒙活動のほか、文化芸術に関する活動、環境美化活動も積極的に行っています。活動の趣旨に賛同した個人や法人の会員と共に、日本文化の発展や民族としての繁栄、人類の平和に寄与することを目指しており、研究や出版、地球倫理推進のための事業なども行っています。日本国内だけではなく、中国や台湾、アメリカやブラジルなどの海外にまで活動の輪を広げています。

倫理研究所の創立者である丸山敏雄は、敗戦後の混乱期に、道義が退廃している日本の現状を憂いました。道義を確立する事が日本再建の道であると、1945(昭和20年)に「夫婦道」という論文を発表。そこから倫理研究所の現在の活動へと繋がる生活改善運動がスタートしました。1946年(昭和21年)に新世文化研究所を設立し、1951年(昭和26年)に倫理研究所に改称されています。

丸山敏雄は福岡県に農家の四男として誕生しました。子供の頃から成績優秀で、高等小学校を卒業後、教諭のすすめで教師の道を歩みだしています。代用教員としてわずか16歳の時には教壇に立ちました。小倉師範学校に進学し、首席で卒業しています。その向学心と篤い人望、温和な人柄から、付いたあだ名は「孔子丸山」でした。広島高等師範学校を経て、1920年(大正9年)に福岡県立築上中学校の教諭となります。1925年(大正14年)には長崎女子師範学校へ首席教諭として迎え入れられました。しかし、1929年(昭和4年)、それまでの教職を辞して広島文理科大学(広島高等師範学校を改組)に再入学しています。理由は、当時の左翼運動の活発化でした。教育者と同時に日本の古代史や国体についての研究者でもあった丸山敏雄は、左翼過激派による「日本神話は作り話でしかない」という論調によって国体の根拠が失われてしまう事を危惧したのです。また、長崎で出会った教え子達のカトリックとしての熱心な信仰心に触れたことで、自身ももっと国体について学び、不抜の真理を体得しなければと触発されたことも大きな理由でした。大学では日本古代史や神祇史の研究に勤しむほか、倫理学者である西晋一郎博士の薫陶を受けました。しかし、なかなか真理を体得するには到らず、広島文理科大学を卒業後は内定していた師範学校の校長職を辞退して、ひとのみち教団へ入信しています。それは、学問ではつかめなかった真理を追求したいと願い選んだ道でした。

その後、日中戦争が始まる1937年(昭和12年)に身に覚えのない不敬罪によって逮捕・勾留されてしまいます。執拗な拷問が続く中、追い求めていた真理の一片を知る不思議な体験をします。「苦しみはそのまま美となる」「この世に親より大切なものはない」ことを痛切に実感した敏雄は、かつての宗教活動を反省するとともに、仮出所後の長い裁判期間には、書道の教授を生活の糧としながら、さらに深く古典や真理の探究を進めました。その経験が、後に丸山敏雄が純粋倫理を発見・提唱することに大きく影響を与えました。

丸山敏雄が発見し、倫理研究所が活動の拠り所としている生活法則は、純粋倫理と呼ばれています。一般的な倫理・道徳に対して、行えば必ず実生活に良い影響をもたらすという法則性を持ちあわせているのが特色です。純粋倫理の実践事例に基づいた実証研究や、その体系化を図るための専門研究が倫理研究所の研究の主眼になっています。

一般社団法人 倫理研究所
http://www.rinri-jpn.or.jp/

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